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人間が肉を食べるのは自然なことだと主張する。理由は以下の点である。
- 人間の先祖、古代人や猿も肉を食べる
- 肉を美味しいと感じる味覚を持つ
- 人間は狩猟的な本能・知能を持つ
人間の先祖は肉を食べている。猿は雑食であるし石器や鏃の存在から古代人も肉を食べていたことがわかる。人類の歴史、進化の歴史から見て肉食は自然なことである。
肉に対して美味しいという味覚を持つ。これは肉を食べることに対する本能が身体に刻み込まれていることを意味する。人間に必要な栄養素として必須アミノ酸という物がある。これは肉を食べなければ効率的に摂取することができないのである。
人間には身体的なぶつかり合いで勝利することの快楽がある。これは狩猟で食料を得ることに関係があると考えられる。もし人間が草食なのだとしたら戦闘行為に対する快楽は何も役に立たないどころか死期を早めるだけの不自然なものである。
反対派の以下の意見について反駁する。
- 肉を食べるのに道具を使ったり、調理をしなければならないのは不自然なことである。
- 血と殺戮、残酷なことを行ってまで食欲を満たそうとすることは不自然であり道徳的堕落である。
- 肉を食べると精力が高まり、攻撃的で快楽的な性格になる。理性的に生きるべき人間にとって避けるべきものである。
道具や調理は使えるからしているだけである。もし仮に人間が知能を持たない種であったとしたら自らの身体能力で肉を確保しただろう。もし仮にライオンが銃やオーブンを使うことができたら躊躇なく使うだろう。牙や爪を持たなくとも野うさぎやネズミなど小型獣を捕らえることは可能なはずだ。また、小型獣であれば牙や頑強な顎を持たなくとも生肉を咀嚼することは可能である。人間は知能方面に進化したために身体的武器や消化能力、ウイルスや寄生虫への耐性はは退化していった。もし知能方面の進化が塞がれていたら身体的特性が進化していただろう。これは淘汰の結果であり自然なことである。
肉を食べることは確かに残酷かもしれないが、植物を食べることも同じぐらい残酷ではないだろうか。人間と身体的類似点を持たないというだけで同情心を持たないというのは差別ではないだろうか。ベジタリアンの中では生きている植物を食べるのは残酷だとして自然に落下した果物だけを食べるグループがあるそうだ。しかしこれは出生今もない嬰児を連れ去ってしまうことと変わりがない残酷なことではないだろうか。食料の調達に善悪はない。肉食は猟奇的快楽のために行われるのではない。口に糊するためにやむを得ず生命への感謝のもとに行われるのだ。
精力が高まってもなお、己を律することができる、これこそが理性的な姿ではないだろうか。食物を制限して活力を弱めなければ正しく生きることができないというのはなさけないことではないだろうか。窃盗の常習犯が自分で手錠をかけて暮らしているようなものである。理性で窃盗に走る心を押さえ込めばいいだけである。
以上