三週間ほど投稿が空いてしまった。今日は前回書いた通りブログを継続するにはどうすればいいかを書こうと思う。
①時間を確保する
物理的に時間がないことがブログを継続することができない最大の原因だと思う。どんなに暇な人でも一日24時間は何かしらの行動で埋め尽くされている。惰眠かネットか人付き合いかなにかわからないけど必要でないものがたくさんあるこれらをなくしてブログの時間に振り返る必要がある。自分の場合はなんだろう。
SNS、Youtube、まとめサイト、エロ動画、昼寝、朝起きれずに何度もスヌーズする、ラジオ
このあたりは心当たりがありまくりである。正直楽しくてやってるわけじゃないとすら思える。暇が苦痛なのだ。暇なら寝てしまいたい。暇なら現実でなくてネットの世界を漂う。こんな悪習慣が身にしみてしまっているのだ。こうして文字に起こしてみて改めて情けない自分を見ることができた気がする。これではダメだ。自己逃避的な活動が多すぎる。自己実現的な活動をしなければ。
このブログは正直クソだけど上記のオナニーして寝るだけよりよっぽどマシだ。こっちの世界に軸足を移していけ。こっちの世界になんの価値もないけどあっちの世界は自分の価値を毀損する世界だ。マイナスの世界からゼロの世界に来ることができたら一歩前進だろう。
暇つぶしならこのブログに立ち寄るんだ。もう一回蟻地獄に落ちてはダメだ。これから登るプラスの世界という山は険しい。このブログという踊り場で体力を養っておこう。
②消費者になることを避ける
ネットとかくだらない娯楽をやめようとしたことは前にもあった。その時はどうなったか?読書にのめり込んだ。教養、自己啓発、哲学。高尚な趣味だ。ネットをやっている人に対して一歩先に出た気がした。しかし、実際にブログは一ミリも書いてない。ネットが読書に変わっただけ。役立つとか勉強とか高尚さを隠れ蓑にしてただただ時間を浪費した。それらは結局行動しない言い訳に過ぎなかった。結局消費活動でしかない。ブログは生産者の端くれである。他人の考えをインプットするのではない。自分の考えをアウトプットするのだ。読書は「大人のおもちゃ」といっても過言ではない。オーディオブックとかゴルフとか麻雀、クラシック音楽、車、マイホーム、ガーデニングとかもそうだ。消費する側でなく生産側に回れ。
③意欲
では実際に生産側に回るためにはどうすればいいのだろうか?意欲が必要だ。くだらない娯楽や「大人のおもちゃ」への誘惑に耐えてブログ書きに向かうための意欲だ。これはもう耐えるしかない。習慣になってしまっているから習慣が逆転するまで耐える。誘惑に負けているという習慣の慣性がなくなるまで耐える。ブログを書く習慣の慣性が働くまで耐える。物体の運動は動き始めるときと停止させるときに最もエネルギーが必要となる。これと同じだ。動かすエネルギーと止めるエネルギーの両方を使うのが大変だったら片方だけでもいい。動かす方は放っておいていい。なぜなら人は暇になるとなにかしたくなるからだ。ネットを止めたあと読書にハマったように。いつかブログを書きたくなるはずだ。それ以外の行動には栓をしておけ。ブログの方向に意欲が漏れ出すように誘導せよ。漏れ出すまでは暇を楽しんで瞑想でもしてればいい。
④ハードルを下げる
ブログ書きのハードルが上がると続かなくなるのは痛いほど知ってる。このブログはとことんハードルを下げてやることをコンセプトにして始めたのに一人ディベートでハードルが上がって更新が止まってしまった。少しでも油断すると見栄がハードルをあげようとしてくる。気を抜くな。うまく書きたい、鋭い視点で世界を切り取りたい、美文で人を感動させたい。こんなこと素人ができるわけない。もちろん初めからできる天才がいることも確かだが自分はそうではない。もし自分が天才ならこれまでの人生で誰かに才能に気づいてもらっているはずだ。いい年して新たな才能に目覚めることはないというのが現実的な視点だ。とことんハードルは下げる。とにかく継続を優先する。継続していれば上達すると信じる。必ず上達する。
⑤型を身につける
型を勉強せよ。勉強と言っても③のような行動しない言い訳になってはダメだから実地に施しながらだ。文の型。記事構成の型。ブログ構想の型。ブログ書きの生活習慣の型。型は先人の汗と血の結晶だ。使わない手はない。というより使わなければダメだ。素人の徒手空拳でプロ相手に戦っても勝負にならないプロの技術を身に着けられるような道筋を作れ。自分なりの方法でやりたいは甘えだ。まず型から入れ。自分より先人を信頼しろ。型破りなことができるのは型が身についている人だけだ。型の習得は一気にやろうとするな。少しずつだ。一気にやるとハードルになりかねない。学べばこれを実地に施すベし。