透明人間になることができる魔法の指輪を偶然手にしたら、透明になる能力を使うべきだと主張する。理由は以下の通りである。
- 得た力を使うことに善悪はない
- 悪事を働いたとしても認識されなければ悪ではない
- 透明になる能力を利用して良いことをする
得た力を行使して他人を出し抜いていくことは世に広く行われていることである。お金持ちに生まれたドラ息子が他人をこき使う。生まれつきイケメンの男が女を誑し込む。宝くじにあたった人が遊んで暮らす。生まれつきの身体能力で活躍するアスリート。上げれば枚挙にいとまがない。魔法の指輪を行使することはこれらと変わりがない。
例えば覗きをしたとしても気づかれなければ被害者は生まれない。文字通り「減るもんじゃあるまいし」なら使っても現実に害を及ぼさずに自分は幸せになることができる。このように合理的なことはするべきである。
透明になる能力を使って社会貢献をすることができる。例えば犯罪組織に侵入して証拠を掴んむことができる。また普通は白々しくてできない小さな善行も透明なら積みやすくなる
反対派の以下の意見を反駁する。
- 良心の呵責を覚える
- 悪事を行えば行うほど取締が厳しくなる
- 自分が使っても良いとするなら他人に使われることも肯定しなければならない。
良心の呵責を覚えるというが一点の曇りもない人生を送っている人などいるのだろうか。何も指輪を使わなくても人は良心の呵責を覚えながら生きていくものである。そしてそれに慣れていくものである。指輪から得られるメリットを考慮すれば使わない手はないと考えられる。
指輪による被害と取締の厳化による被害を比べると取締の厳化の影響のほうが大きいため厳化はあるいどの快適さで頭打ちすると考えられる。一人が行う悪事に対し全員に対して課される取締は経済的にも精神的にも釣り合わない。
そのとおりで他人に使われる覚悟がなくてはならない。しかしそれは反対派が主張するように使う人が増えれば取締が厳しくなっていく。そして自分が被害を受ける可能性が下がるため大幅な損害は受けないと考える。
以上