透明人間になれる魔法の指輪を使うべきでないと主張する。理由は以下の通りである。
- 悪事を働けば良心の呵責に悩まされる
- 悪事を働くと取締が厳しくなって生きにくくなる
- 自分が使うのなら他人にも使われることもまた肯定しなければならない。
悪事を働けばお金持ちになれるなど得するかもしれないが良心の呵責に悩まされる。他人の目から見を隠すことができても自分の目から逃れることはできない。警察からの追求には時効があるが良心の追求に時効はない。指輪を使った利益と良心の呵責は釣り合うことはない。
「この国民にしてこの政府あり」「苛民の上に苛政あり」という言葉がある。世に悪事がはびこればはびこるほど取締はきびしくなる。街中に監視カメラが付き、何をするにも身分証明が求められるなど不便になるだろう。指輪の持ち主はこれらから逃れようとするうちに透明じゃない自分に戻れなくなるだろう。
自分が使ってもいいなら他人が使うことも肯定しなければならない。それはなにも指輪を使われることに限らない。構造的には変わりがないから、自分の家からこっそりお金が盗まれても文句は言えない。他人の悪徳を指摘するモラリストは自分もモラリストでなければならない。
賛成派の以下の意見について反駁する。
- 得た力を使うことに善悪はない
- 悪事を働いたとしても認識されなければ悪ではない
- 透明になる能力を利用して良いことをする
力を得たからこそ使用を制限しなければならない。プロボクサーは一般人を殴ることを禁止されているように。得た力は他人との合意のもとに用いられる。賛成派の例でも契約や合意、リスクテイクのもとで報酬を得ており、指輪のような一方的な力の講師は行われていない。
覗きでは物理的に何かが毀損しているわけではないが権利が毀損されている。プライバシーの権利だ。権利は無形だが人類の歴史が積み重ねてきた叡智の結晶であり犯すべきものでない。他人の権利を尊重するという道徳が自分の心から毀損していくのである。
隠れてでしかできない善行は善行ではない。何かしらの違法を犯している可能性が高い。賛成派の上げた例で言えば不法侵入である。無法に対して無法を働いてもいいという理屈はない。また気恥ずかしくてできないというのに大胆にも強大な力をもつ魔法の指輪を使うというのは筋が通らない。小心者なのかアウトローなのかはっきりしない。
以上